はじめまして、齋藤貴栄です。貴栄は、たかえと読みます。(本名です^^;)
昭和の生まれです。
8年来の恋人に振られ、結婚どころか恋人もいないまま、
平成JUMPしようとしています。笑
大好きなことを思いっきりやるために、
インターネットが自分の代わりに働く仕組み作りをしています。
《やりたいことを、思いきり!》
そんな風に生きるため、発信をしている私ですが
まずは、誰?どんな人なの?
知っていただけると嬉しいです^^
。.:*・゚☆
Contents
小学生~描くことが生きることだった
オシャレでもない
目立つところもない、
ちょーっと丸めの、
ボゲーっとしたメガネ娘。
『将来の夢は?』と聞かれたら
「うーん、…図工に関係あること!」
そんな、描くこと大好きマンでした。
高学年になると
ゆるい天パの髪は、無残にもうねり始め、
食べるのが好きな、ZPS(残飯処理班)は
元々太りやすいのも相まって、どんどん…
どんどん…
ゴクリ…
華やかな存在にはなれない
そんなの、小学生だって
なんとなく感じるものです。
そんな私にとって
『作品を作って、他人に褒められること』
それだけが、自分が誇れる存在意義だと思っていました。
中学生~年金生活を夢見るいじめられっこ
小学校を卒業する頃には
《立派な小デブ》となっていたものの
マイペースなアーティストとして
なんとか市民権を得ていましたが、
中学に入学して、いきなり試練に見舞われます。
それまで、仲のよかった友達達から
シカトされるようになったのです。あいたたた…
移動時間も、休み時間も
誰かから誘われることがないので
どこへ行くにも一人。
会話をつづけたくて、話しかけても、
会話どころか、相づちさえ打ってもらえない…
この頃、休み時間の友はすっかりトイレに。
声を殺して泣いても、トイレは私を責めなかったからです。
そのころの夢は
『年金をもらって穏やかに暮らす、老人になりたい』
中学生にして
いつか来る【死】を、静かに待つことを望む
そんな子どもでした。
高校生~吹奏楽部はサラリーマン?
高校は『成績さえ落とさなければ、何してもOK!』という
自由な校風の都立高校へ。
中3の終わり、メガネを外して
コンタクトにしたのを皮切りに
髪を淡ーい茶色に染めあげ
ストパーをかけ(時代…)
いっちょまえにお化粧までして
俗に言う高校デビュー、なのか!?
完全武装で高校生活スタートです。
……そして数ヶ月後、
立派なサラリーマンになっていました。
あれ…?
いえね、中学から続けていたからという理由で
いたずらに吹奏楽部に入部したら、見事
ハイ!月・月・火・水・木・金・金!
という、年間通スケジュール真っ黒!な部活だったのです。
”家で絵を描くのが好き、自由な時間が欲しい”
イヤダイヤダと言いながら、
すっかりサラリーマン生活に飼い慣らされ
「あれをやれ、これをやれ、と言われないと動けない」
マリオネットのような人間になっていきました。
大学生~本当つまらないよ、お前がな
「将来は、図工に関係のある仕事につくんだ!」
そう、前向きに意気込んでいた子供時代は何処へやら
『まあ、人数の多い部活で副部長をやっていたから、
人前に立つことは慣れているし…』
『一応、アートには関われるしな…』と、
惰性でそこそこ国大の教育学部へ。
高校時代、意図せず鍛えられてしまった指示待ち体質のせいで、
今度は、大学の自由さに、カルチャーショック。
入学一ヶ月で見事に腐り、
…キノコとして生きていました←NEW!
そんな時、高校からの仲良しが
◯ースボートで世界一周に行くことに。
『世界を見てくる!』
そう言う友人がキラキラして見えて…
「そうか、日本に生まれたからって、
大学に入学して、キノコ歴2年以上、
ようやく、進むべき道が見えた気がしました。
大学生(2)~ふりきったら開眼しました
『海外の大学に編入したい』
こんなことを言い出した娘に、
両親は目が点だったに違いありません。
出された条件は
『就職活動で内定を取ること、そして留学先の大学から合格をもらうこと』
『その上で選ぶこと』
就職…と言ってもイメージが湧かなかった私は
教員採用試験に、的を絞ります。
同時に、大学の講義に着いていけるレベルの
英語力もつけなければいけない…
うおお、キノコ、本気出す!
一応美術専攻だったにもかかわらず、
4年間で、大して作品も作らないまま、卒業の日は近づいていきました。
留学〜圧倒的なインプット量に、毎日が死闘の日々
採用試験の合格をもらったら、
流石にそちらを選ぶだろう
そう踏んでいただろう両親の思惑をよそに
「アメリカに行きます!」
同級生が袴で着飾る卒業式の日に、
一人、アメリカど田舎の地に、我、降り立つ。
えっと…アレ?
学校までの1時間、ずっと畑なんですけど?
ヒトはどこに住んでるのカナ?(真顔)
さらに初日はまさかの手違いで、
入居した寮に布団がない。(OH…)
でもそこは定時命☆のアメリカ人。
頼って縋った留学生センター、
「17時過ぎで、誰もいない…だと…!」←実際泣いた
バタバタと、留学生活が始まりました。
《ひたすら課題が多い》
《図書館は、閉館(0:00)まで学生が勉強している》
《課題が終わらず→学校に寝泊まり〜からの》
《締め切り前は棟内で風邪が蔓延する。笑》<
…こんな環境なのもあり、
国籍、人種、性別(さらには性嗜好)関係なく
お互いの肩をなんとか支えながら
みんなで学位取得を目指しました。
朝方4時。
前の晩から徹夜で作業。
疲れた笑いを浮かべながら、一緒に作品制作をする。
「Are you still alive?(ねえまだ生きてる?)」
「Nop! (NO!笑)」
中学の時、”誰かと”を感じられなかった、
あの頃の私が
報われた気がしました。
帰国〜こんなことが起こるとは
2011年、3月11日
未曾有の地震が日本を襲ったあの日
私は、日本にいませんでした。
翌日、「日本は大丈夫!?」「家族や友達は、無事!!?」
出会う誰もが、ものすごい勢いで心配してくれました。
さらなる学位を目指してアメリカに残るか…
迷っていた心に、火が灯ります。
「日本のために、今できることをしたい。」
社会人と言う名の社会不適合者~5年で職場を3回変えて
変な時期(12月)に帰国して、
臨時採用で働き始めた小学校
これがまぁ…、試練の連続でした。
「好きなものは、だーいすき!」
「嫌いなものは、大っ嫌い!」
子供は誰もが清らかです。
本当に、誰もが素晴らしい力をもっている。
そして、純粋であるがゆえに、
その純粋さが刃となることもあります。
そんな子どもたちに対して、私は
”先生”と言う名前ばかりをもらってしまった、
ど素人でした。
『どうしたら、子ども達も私も
一緒に良い時間を過ごすことができるのかな』
分かるのに、1年、…うーん、2年以上かかりました。
「担任は、申し訳ないけれど、もう持ちたくない」
「私は、何かの教科を専門的に教えたい!」
そこからは、フルタイムで働くのをやめました。
担任がね、ダメって訳じゃないんです。
私が、”どれもこれも全部”なのが合わなかっただけ。
そして、専科の教員として、
パート勤務の道を歩むことになります。
上司には、
「いつまで夢を追うんだ」
先輩には
「いつまで腰かけでいるの?」
そう、言われました。
「なんで、正規で働かないの?」
「定年後のこと考えたら、絶対正規で働くべきだよ。」
「なんで、採用試験を受けないの?」
なんとか笑って受け流していたつもりだけど、
その実、心が折れそうでした。
それでも、私は、私の好きな生き方をしたい。
1〜2年で、フラリ違う学校に飛ばされる、
ジプシーのような教員をやっていました。
8.『裏』社会人~副業オンパレード
学校では必死に教員をしている私でしたが
パート勤務が始まったと同時に
”自分の”小さな小さなビジネスを始めていました。
・英会話を教えるお仕事
・レジンアクセサリーの販売
ある日、私と子どもとの関係を知る同僚に
『娘に英会話を教えてくれませんか?』
声をかけていただけて
個人レッスンをすることになったのです。
教えるとなれば、こちらも本気、
絶対に結果を出してもらう!
そんな風に、この一球!とやっていたら、
数ヶ月後、また違う方を紹介していただき…
今や、可愛い生徒ちゃんたちは
1時間のレッスンで、全く日本語を使いません。
(私も英語しか使わないのがポリシーです。)
そんな風に、少しずつ広がっていきました。
出会っちゃったよ、ハンドメイド活動の始まり
そして、触れてなかったハンドメイドのこと。
実は、英語レッスン事業を始めるより、少〜し早いタイミングで
プラバンとレジンの魅力に取り憑かれることとなります。
心をバッキバキに折られてばかりの教員1年目
実家で古ーいプラバンを見つけたんです。
懐かし〜い!と家に持ち帰り、遊んでみたら…
その奥深さに、まんまと引き込まれてしまいました。
出会っちゃった、ってやつです。
『これ、ピアスにしたら可愛いんじゃないかなと思って』
『ゼロから手描きで作ってみました』
どう思われるかな…
おそるおそる写真をアップしたら
友人から「可愛い!欲しい!」
と言ったコメントをもらえるようになりました。
嬉しかったなぁ…!
9.ネットビジネスとの出会い~影分身の術!?
パート週3で学校→順調
英会話レッスン→順調
ハンドメイド作品販売→順調
そんなありがたい環境にあったわけですが、
唯一、困ったことがありました
《貧乏金なし》状態なのです。泣
授業を終え、事務処理を終わらせ、
その足で生徒さんのお宅へ向かい、
帰宅してから、オーダーの品を作る…
まさに『寝る間を惜しんで』の活動。
なのに、ぶっちゃけ生活は楽にならない!
好きなことしてるんだ、
お金がないのは仕方ないんだ。
でも、頑張ってもお金にならず
生活も楽にならないのに、
どれだけ続けられるんだろう…
いつまでも、好きでいられるのかな。
まるで、ダメな男に引っかかった女のよう…。笑
そんな時に出会ったのが
PCを使ったビジネスの存在。
もっと、家を拠点に、効率よく?
できればもう少し楽に?笑
できる仕事ってないのかなって思ってたんです。
まぁそういう目でビジネス業界を見回してみると
本当にいろ〜んな情報があることに気づきます。
その中で、
『え、一度作れば自動で働いてくれるの!?』
今、私がやっているビジネススタイルに出会います。
DRM(Direct Response Marketing)
ダイレクトレスポンスマーケティング、またの名を
ブログメルマガアフィリエイト、とも言いますね。
そして、知っちゃったからには、
ブログ、Youtube, Twitter, メルマガ…と
「この人(たち)は信頼できる」という情報ばかりを
漁るように、追いかけるようになりました。
ポジティブストーキング、万歳!笑
そして、ネットビジネスの世界へ飛び込む
教員とは言え、時間給のパートタイム。
決して、懐事情にゆとりがあるわけではありませんでしたが笑
【なるべく早く、効果を出したい】
大学受験合格のために予備校を利用する、
旅行で目的地に着くために、飛行機を使う
そんな気持ちで、ビジネスを学ぶことに、
えいや!っとお金を投資することを決意しました。
やばい、新しいこと、めっちゃ緊張する…
本当か、自分、本当にやっちゃうか!?
よし、、行け!
…ポチ。(決済ボタンを押す音)
10.手にしたい未来~自動で収入を受け取れる仕組みを作りたい
「働くよりは楽してできるかな」
それ目当てで、この世界に足を踏み入れましたが笑
やってみて思うのは、
「楽に、単純作業をしていれば儲かる♡」
たまに見かけるこういう触れ込みは、
人を惑わす嘘だということ。
儲かる=お金を稼ぐっていうことは
どなたかから、大事なお金をいただくということ。
そんなテキトーなものではありません。
じゃあただただ大変なのかって言うと、それも違っていて。
ちゃーんと、良いところもあるんです。
お金をいただけるようになる、
絶対の方法があるんです。
それは
「きちんとした情報を学ぶこと」
「自分でやってみること」
「振り返り、改善すること」
そして、
「続けること」
これに、尽きます。
思ったより、当たり前って思いますか?^^;
でも、これだけなんです。
それ以外は、特別な資格も経験も、必要ありません。
やった分だけ、頑張った分だけ、行動した分だけ、
自分に結果が返ってくる。
世の中、理不尽だなぁと思うことに溢れていますが
ビジネスの世界だけは
「努力に無駄なし」の世界が広がっています。
でも、横道にそれちゃうことはあるので、
誰か先輩に付いて行くと、アドバイスをもらえるのでおすすめです^^
それにね、ただ、楽しいんですよ。
学ぶことって、楽しい。
自ら学びを求めることで、
同じ様に学びを求める人達に出会い、
その人たちとの出会いが
どんどん私の世界を輝かせてくれるんです。
知らなかった世界が、拓かれていく。
踏み出した向こうで、少し先を行く先輩方が
引っ張り上げてくれる。
(大好きな先輩方、いつもいつもありがとう…!)
そして、ようやく仕組みができてきて、
成果が見え始めると、
その先に…
働かなくても、収益を出すことができる
そんな未来が待っているんです。
終わりに
私は、きっと、人よりちょっと不器用なんだと思います。
自分のやりたいことに対して、すごく頑固。笑
だって、この体での人生はたった1度きり。
自分の好きなことを思いっきりやれなきゃ、
私は自分の人生を絶対後悔します。笑
だから、そのために
時間と、お金と、健康な身体が必要なんです。
65歳で定年を迎えるのなんて、待っていられない!笑
そんな私が学んできたこと、やってきたこと、
今、進行形で考えていること。
失敗も成功も、丸ごと
このブログには記しています。
良かったら、見ていってやってくださいな^^
インターネットを使ったお仕事についてはこちら(無料メルマガ)で、さらに詳しくお話しています。
メルマガ内のみのご案内やお誘いもあるので、
そちらでも、お会いできたら嬉しいですね〜!
私の不器用で正直な生き方が、
あなたの生き方のヒントになれたら、
こんなに嬉しいことはありません。
何か疑問に思うこと、感想、ご相談なんかもあったら
それぞれの記事に、コメントくださいね^^
心を込めて、お返事させていただきます。
さぁ、時間やお金っていう制約に、負けないで。
自分らしく生きられる方法を、掴み取って行きましょう!
齋藤 貴栄(さいとうたかえ)
どうも、たかえです^^
【略歴】 幼少期から「絵を描くのが好き」という思いを持ち続け、
が、そこはあくまで『教育学部』。
アメリカでは、自身をモチーフにした版画が
そんなタイミングでの東日本大震災。
小学校教師として働き始めたものの、
その中でプラバン作品作りに出会い、
心を壊した翌年、フルタイム教員を辞し、
現在、ハンドメイド作家に寄り添う専門家として、
一人ひとりの個性を尊重し、自信を持って
────────────── 私は、作ること、生み出すことが大好きで
元々は小学校の教員で、独立後は
30歳も数年経った2018年に、
180度変わりました。
→ハンドメイド作家たかえの詳しいプロフィールはこちら
学んだことを自分の作品や、得意なことに
これまでにない